海外での仕事

アメリカに留学して2003年に帰国した僕が、再びアメリカはLAに飛んだのは2014年のこと。現地で決まっている仕事があったわけではない。ただ、日本での活動に気持ちの限界を感じてしまっていたからだった。

002LAに飛ぶ前の2012年~2013年、日本での活動は充実していた。ありがたいことに物凄く沢山の仕事を貰え、忙しすぎてセットの横で寝ていたなんてこともしばしばだった。

だけど充実感の傍らで、ふと、なんだか先が見えてしまったような、どこか物足りないような気持ちと焦燥感があった。日本の業界では、ある程度の知名度があると、コンペティティブではなくなってしまう。横の繋がりや知名度だけで、仕事がおりてくるようになる。それが良い悪いという話ではなく、僕にとっては退屈に感じてしまったのだ。誰かが言った、「自分を向上させるには、周りの誰よりも自分が劣っている環境に身を置くこと」という言葉を思い出していた。

001そこで思いついたのは、アメリカの映像業界にチャレンジすること。言葉や文化の問題もあるし、僕は日本人で、アメリカでは外国人だ。しかし現地で助手として働いていた頃に見たアメリカの映像業界は、日本とは異なり、どんなに知名度があがってもすべてコンペで勝ち取っていくスタイルが当たり前だった。新人だろうが外国人だろうが関係なく、実力さえあればチャンスを貰えるというのを、実際に見ていたのだ。いま僕が欲しているのは、そうした環境に身を置いて、自分の実力をイチから試すことなのではないだろうか?これが、僕が再びLAに行った理由。

LAで活動したのは約1年。妻が妊娠し、日本で出産する必要があって帰国した。本当はもっと長くいるつもりだったが、幸いなことにLAでやりたいと思っていたことはその1年間でほとんど出来てしまったので、後ろ髪をひかれることもなく、満足した気持ちで日本に戻ることができた。またLAで活動することを考えなくもないが、世界情勢は大きく変化し、治安の問題などを考えると家族を連れていくのは現実問題として厳しい。しかし、あの1年間の経験が、いま日本での活動にとても活きている。行って良かったと、心から思う。

これからも、海外作品の仕事に積極的に関わっていきたいと思っている。とはいえ、先日のユニクロのように海外CMの日本ロケ撮影において、日本のプロダクションを通してオファーを貰うことは度々あるけれど、帰国当初こそ多かった海外のプロダクションからの直接オファーは段々減ってきているので、また増やしていきたい。

そうそう、実は今、『A Moment in June』を作ったチーム(日本、アメリカ、タイ)で新しい作品を進めていて、出資が集まってきている。これが実現すれば今年の末か来年には、イギリスでの映画化が実現するだろう。とても楽しみだ。

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